作家名 | 林武 HAYASHI Takeshi |
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タイトル | 花 flower |
技法 | 色紙に水彩・パステル Watercolor,Pastel on paper |
サイズ | 27cm × 24cm |
体裁 | 額装 |
制作年 | |
レゾネ | |
ED. | |
サイン | サイン有・印有 |
鑑定証書 | 「武の会」登録証書 |
備考 | |
販売価格 | 売却済み |
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林武 略歴詳細
1896年 | 12月10日、東京市麹町区上二番町十五番地に6人兄弟の末子として生まれる。武の父・甕臣(みかおみ)は国語学者、祖父・甕雄(みかお)は歌人、曽祖父・国雄は水戸派の国学者だった。 |
1909年 | 牛込区余丁町小学校を卒業。同小学校では東郷青児が同級生で、担任の先生だった本間寛に東郷とともに画才を見出される。 |
1910年 | 早稲田実業学校に入学、学費が払えず実家が営んでいた牛乳販売店で労働しながら通学するが体調を崩して中退する。 |
1913年 | 歯科医の助手となり歯科医を志望、東京歯科医学校に入学するが、翌年には中退する。 |
1917年 | 新聞や牛乳の配達、ペンキ絵を描いたりして生計を立て画家を志す。 |
1920年 | 日本美術学校に入学するが、翌年には中退する。 |
1921年 | 第8回二科展にて初入選し、樗牛賞を受ける。渡辺幹子と結婚。幹子夫人はその後の武の画業の進展に献身的につくし、その夫婦愛はしばしば世評にあげられたところである。 |
1922年 | 3月 平和記念東京博覧会に「婦人像」を出品し褒状を受賞する。9月 第9回二科展に「静物」、妻幹子をモデルにした「本を持てる婦人像」を出品し、二科賞を受賞する。この年、代々木に移る。 |
1923年 | 1月 万鉄五郎を中心に円鳥会が結成され、児島善三郎らと参加。6月 円鳥会第1回展に「静物」「花」「肖像」「風景」「風景」を出品。9月 第10回二科展に「女の顔」「鍋のある静物」を出品。関東大震災被災のため、神戸に移住する。 |
1924年 | 4月 円鳥会第2回展に「静物」を出品。9月 第11回二科展に「静物」「神戸風景」を出品。 |
1925年 | 9月 第12回二科展に「静物」「野菜等の静物」を出品。10月 円鳥会第4回展に「婦人像」「姉妹」など5点を出品。 |
1926年 | 6月 1930年協会会員となる。9月 第13回二科展に「静物」「落合風景」「文化村風景」を出品し会友に推される。この年市外に転居する。 |
1927年 | 6月 第2回1930年協会展に「顔」を出品。 |
1928年 | 2月 第3回1930年協会展に「女の顔」を出品。9月 第15回二科展に「裸婦(1)」「裸婦(2)」「横われる女」「静物」「男の顔」を出品。 |
1929年 | 1月 第4回1930年協会展に「女の顔」「女」「ポートレエ」を出品。9月 第16回二科展に「ブルーズを着た女」「扇を持てる女」「少女坐像」「臥せる裸体」「花(1)」「花(2)」を出品。この年、転居する。 |
1930年 | 1月 第5回1930年協会展に「風景」「静物」など新作3点と旧作をあわせて41点を出品。3月 第2回聖徳太子奉讃美術展に「花」を出品。9月 第17回二科展に「静物」「花」「肖像」「裸婦」「花と裸婦」を出品。11月 二科会を脱退。独立美術協会を創立する。 |
1931年 | 1月 第1回独立美術協会展に「婦人像(1)」「婦人像(2)」「裸婦」「静物(1)」「静物(2)」「少女と花」「花」を出品。9月 独立美術協会秋季展に「海」を出品。 |
1932年 | 3月 第2回独立展に「白岸風景」「婦人像」「断崖」「少女像」「野外裸婦」「裸婦」を出品。10月 独立美術協会第2回秋季展に「静物」を出品。独立美術協会編「独立美術1」、林武特輯(建設社)刊行される。12月 亡父の遺著『日本語原学』を建設社から出版する。 |
1933年 | 3月 第3回独立展に「花」「肖像」「野外裸婦」「裸婦」を出品。10月 東京日本橋三越において個展を開催する。 |
1934年 | 3月10日、門司出帆の靖国丸で渡欧。パリのアトリエで制作するかたわら、ベルギー、オランダ、イギリス、ドイツおよびスペインの各地を訪れる。第4回独立展に「花」を出品。「コワヒューズ」を制作。 |
1935年 | 4月 帰国する。東京府美術館開館10周年記念現代綜合美術展覧会に「少女像」「1932」を出品。10月 独立美術協会第5回秋季展に「ノートルダム」を出品。東京都中野区新井町に居を移す。「裸婦」を制作。 |
1936年 | 4月 第6回独立展に「コワフューズ」「椅子による裸婦」「立てる裸婦」「ポーランドの女」「踊り子」「裸婦」「梳る裸婦」「ニース」「オランダの娘」「シュールモラン」「スペインの老女」「黄衣」「アッシジ」「カテドラル・ド・シャトル」「ノートルダム」など滞欧作15点を出品。11月 独立美術協会秋季展に「フローレンス」を出品。 |
1937年 | 3月 第7回独立展に「フロレンス」「野外裸婦」「婦人像」「ヴェニス」を出品。4月 明治大正昭和三聖代名作美術展(大阪市立美術館)に「裸婦」(1933)を出品。7月 松坂屋で滞欧作展を開く。 |
1938年 | 3月 第8回独立展に「ルパシカを着た女」「裸婦」を出品。10月 大阪・美交社において近作個展を開催する。出品22点。独立美術協会秋季展に「海景」を出品。「室戸岬風景」を制作。 |
1939年 | 3月 第9回独立展に「室戸岬風景」「室戸岬風景」を出品。10月 独立美術協会秋季展に「ダリヤ」を出品。 |
1940年 | 3月 第10回独立展に「女の顔」「姉妹」「婦人像」「海」「鮭の静物」を出品。10月 皇紀2600年奉祝美術展覧会に「肖像」を出品。 |
1941年 | 3月 第11回独立展に「卓上静物(1)」「卓上静物(2)」「肖像」を出品。 |
1942年 | 3月 第12回独立展に「菊花」「静物」「肖像」「栗」「洋菊」を出品。10月 独立美術協会秋季展に「花」を出品。 |
1943年 | 3月 第13回独立展に「肖像」「静物」「バラ」「小菊」「カーネーション」を出品。 |
1944年 | 2月 第14回独立展に「アネモネ」「茶碗とブドウ」「静物」を出品。持病の胃潰瘍が悪化、静養をかねて西多摩郡網代村にこの年から2年間疎開する。この前後、構図法の研究に没頭した。 |
1946年 | 1月 中野のアトリエに帰る。4月 独立美術自由出品展に「花(菊)」「花≫」出品。「うつむき女」を制作。 |
1947年 | 4月 第15回独立展に「花(1)」「花(2)」「風景」を出品。5月 柴田ギャラリーにおいて個展を開催する。6月 第1回美術団体連合展に「婦人像」を出品。 |
1948年 | 5月 第2回美術団体連合展に「婦人像」を出品。10月 第16回独立展に「花」「静物」「花」「星女嬢」「静物」を出品。この年から坂上星女をモデルにした連作を描き始める。 |
1949年 | 5月 第3回美術団体連合展に「梳る(くしけずる)女」を出品。10月 第17回独立展に「真横向き」「静物(1)」「静物(2)」「卓上花」「K子像」を出品。11月 「梳る女」(第3回美術団体連合展出品)をはじめとする画業に対し、第1回(昭和24年度)毎日美術賞を贈られる。 |
1950年 | 3月 北荘画廊において個展を開催し、「星女嬢(横向き)」「静物(鯖)」などを出品。3月 第1回秀作美術展に「真横向き」を出品。5月 第4回美術団体連合展に「裸婦」を出品。10月 第18回独立展に「静物」「裸婦」「横向婦人像」を出品。読売新聞主催の現代美術自選代表作十五人展に前々年制作の「静物」を出品。 |
1951年 | 1月 第2回秀作美術展に「星女嬢(横向き)」「静物(鯖)」を出品。5月 第5回美術団体連合展に「鏡をもつ女」を出品。10月 第19回独立展に「裸婦」「造船所風景」「裸婦」「逗子風景」を出品。 |
1952年 | 1月 第3回秀作美術展に「鏡をもつ女」を出品。3月 安井曾太郎、梅原龍三郎の後任として、東京芸術大学美術学部教授に就任。5月 第1回日本国際美術展に「静物A」「静物B」「静物C」を出品、サロン・ド・メに「静物A」「静物B」「顔」を出品。10月 第20回独立展に「横顔」「A子像」「F子像」を出品。 |
1953年 | 1月 第4回秀作美術展に「静物」を出品。5月 第2回日本国際美術展に「粧える女」を出品。9月 国立公園絵画展に「十和田湖」を出品。10月 第21回独立展に「十和田湖」「横向少女」「十和田湖」「静物」を出品。この年、風景に題材を求め十和田に滞在。「十和田湖」の5点の連作を生む。 |
1954年 | 1月 第5回秀作美術展に「静物」「横向少女」「粧える女」「十和田湖」を出品。5月 第1回現代日本美術展に「卓上静物A」「卓上静物B」を出品。6月 東京日本橋・高島屋において個展を開催し「ネッカチーフの少女」など約50点を出品。10月 第22回独立展に「仰臥裸婦」「裸婦半身」を出品。 |
1955年 | 1月 第6回秀作美術展に「ネッカチーフの少女」を出品。5月 第3回日本国際美術展に「女」「星女嬢」を出品。10月 第23回独立展に「見高浜」「婦人座像」「今井浜風景」を出品。 |
1956年 | 1月 第7回秀作美術展に「見高浜」を出品。5月 第2回現代日本美術展に「伏目の女」「奈津子の像」を出品し大衆賞を受賞する。7月 第1回日仏具象派美術展に「月ヶ瀬」「伊豆風景」「村の小学校」を出品。9月 東京銀座・松屋において林武デッサン展(朝日新聞社主催)が開催される。9月 毎日新聞社の依嘱によって原画を制作した大阪毎日会館壁画(大理石モザイク、矢橋六郎制作)が完成する。10月 第24回独立展(創立25周年記念)に「卓上花」「奥日光」「野外婦人」を出品。10月 兜屋画廊において林武壁画エチュード展が開催される。11月 大阪・梅田画廊において林武壁画原画展が開催される。 |
1957年 | 1月 第8回秀作美術展に「野外婦人」を出品。5月 第4回日本国際美術展に「裸婦」を出品。7月 現代美術10年の傑作展(毎日新聞社主催)に「梳る女」(1949)を出品。10月 第25回独立展に「赤衣の婦人」「熱海風景」を出品。 |
1958年 | 1月 第9回秀作術展に「赤衣の婦人」を出品。2月 第2回国際具象派美術展に「静物A」「静物B」「熱海風景」を出品。5月 第3回現代日本美術展に「肖像」「裸婦」を出品。8月 第12回新樹会展に「裸婦」を出品。10月 第26回独立展に「婦人像」を出品。10月 東京日本橋・高島屋において回顧新作展を開催し「ばら」「静物」「川奈風景」「舞妓」「クレロデンドロン」など新作33点、旧作147点計180点を出品。この年、ヨーロッパ巡回日本現代絵画展に「婦人座像」(1959)「十和田湖」(1953)「熱海風景」(1957)を出品、オーストラリア、ニュージーランド巡回日本現代美術展に「静物」を出品。(共に外務省、国立近代美術館、毎日新聞社主催) |
1959年 | 1月 第10回秀作美術展に「熱海風景」を出品、「戦後の秀作」展(国立近代美術館)に「十和田湖」(1953)を出品。5月 第5回日本国際美術展に「座像」を出品。5月 前年開催した回顧新作展に対し、第15回(昭和33年度)日本芸術院賞を受賞する。8月 第13回新樹会展に「裸婦」を出品。10月 第27回独立展に「揺り椅子に坐す女」を出品。11月 毎日美術賞10年記念展に「梳る女」「女の顔」「横浜風景」「静物」「静物」を出品。 |
1960年 | 1月 第11回秀作美術展に「横浜風景」を出品。4月 第3回国際具象派美術展に「横浜風景」を出品。5月 第4回現代日本美術展に「ボンネットの少女」「座せる少女」を出品。5月 空路渡欧し、パリ、ヴァンスなどで「薔薇」「ノートルダム」「エッフェル塔」など23点を制作。 |
1961年 | 1月 第12回秀作美術展に「横浜風景」を出品。2月 滞欧作23点を携えて空路帰国する。5月 第6回日本国際美術展に「ノートルダム」を出品。9月 東京日本橋・高島屋において滞欧作展を開催し、「エッフェル塔」「コペルニック」「サン・ポール」「南仏の家」「ヴァンス」「崖の上の家」などを出品。10月、第29回独立展に「バラA」「バラB」を出品。11月 日動画廊において滞欧デッサン展を開催する。美術出版社よりそれまでの自身の画業を集大成した画集「林武」が出版される。 |
1962年 | 1月 第13回秀作美術展に「ノートルダム」を出品。4月 第4回国際具象派美術展に「女A」「女B」を出品。5月 第5回現代日本美術展に「人物」を出品。8月 第16回新樹会展に「踊り子」を出品。10月 国際形象展同人となり、第1回展に「立てる舞妓」「舞妓」を出品。10月 30周年記念独立展に「舞妓」「舞妓」を出品。舞妓をモデルにした連作を描く。 |
1963年 | 1月 第14回秀作美術展に「立てる舞妓」を出品。5月 第7回日本国際美術展に「少女」を出品。10月 第2回国際形象展に「アトリエからの風景」「下田風景」「花」を出品、第31回独立展に「人物」「風景」を出品。12月 日動画廊において新作素描展を開催する。12月 東京芸術大学美術学部教授を定年退職し牛島憲之に教授職を託す。この年、渋谷区にアトリエを新築転居する。週刊誌の表紙のため「少女」を制作。 |
1964年 | 1月 第15回記念秀作美術展に「ノートルダム」(第13回秀作美術展作品)を記念出品。5月 第6回現代日本美術展に「静物」「富士」を出品。9月 第3回国際形象展に「富士山」「静物」「熱海風景」を出品。10月 第32回独立展に再び妻をモデルにした「三味線」「熱海風景」を出品。富士山を描き始める。 |
1965年 | 1月 第16回秀作美術展に「富士山」を出品。5月 第8回日本国際美術展に「富士」を出品。10月 第4回国際形象展に「卓上静物A」「卓上静物B」「富士」「冬の箱根」「静物」を出品、第33回独立展に「静物」「富士」を出品。自身の生い立ちと芸術論を述べた初めての著書『美に生きる 私の体験的絵画論』を講談社より出版。薔薇の連作を始め、「花」を制作。 |
1966年 | 5月 第7回現代日本美術展に「海」を出品。8月 第20回新樹会展に「花」を出品。10月 第5回国際形象展に「裸婦」「人物」「伊豆伊浜A」「伊豆伊浜B」「伊豆伊浜C」「花」「妻の像」を出品、第34回独立展に「滝富士」「婦人像」を出品。 |
1967年 | 1月 「裸婦」にいたる具象絵画の業績に対し、第37回朝日賞(文化賞)を贈られる。5月 第9回日本国際美術展に「人物」を出品。10月 第35回独立展に「裸婦」「赤富士」を出品。11月 文化勲章を受賞。11月 第6回国際形象展に「石廊崎」「富士山」「少女」「花」「静物」を出品。 |
1968年 | 5月 第8回現代日本美術展に「パークウエー富士」を出品。10月 第7回国際形象展に「怒濤」「波」を出品、第36回独立展に「少女」「岩と波」を出品。富士山と並行して、波打ち際の怒涛を題材にした連作を手がける。『週刊朝日』の依頼により銀座の街頭を描く。 |
1969年 | 5月 第9回現代日本美術展第一部門『現代美術20年の代表作』に「梳る女」(1949)「海」(1966)を出品。10月 第8回国際形象展に「ばら」「花帽子の少女」「ばら」「海」「海」を出品、第37回独立展に「婦人像」「富士」を出品。11月 資生堂ギャラリーにおいて『林武のアトリエ』展が開催される。 |
1970年 | 1月 八樹会展(日動画廊)に「ばら」を出品。4月 毎日新聞社主催『日本巨匠二十人展』(大阪・大丸)に「怒濤」(1968)「ばら」(1969)「赤衣の少女」(1969)「富士」(1970)を出品。5月 大阪梅田・阪神百貨店において画業五十年記念『林武展』(毎日新聞社主催)が開催される。1922年から1970年にいたる代表作約120点を出品。10月 第38回独立展に「花帽子の裸婦」を出品。10月 第9回国際形象展に「憩える踊り子」を出品。富士山の連作「朝霧富士」3点を制作。八百屋お七に扮した女優の菊ひろ子を描く。 |
1971年 | 3月 国語問題協議会会長に就任。9月 池袋モンパルナス展(池袋・西武百貨店)に「少女像」(1931)を出品。10月 第39回独立展に「少女」を出品。正かなづかいの復権を訴えた著書『国語の建設』を講談社より出版。 |
1972年 | 2月 『戦後日本美術の展開―具象表現の変貌―』展(東京国立近代美術館)に「ノートルダム」(1960)「パークウエー富士」(1968)を出品。9月 第11回国際形象展に「花」を出品。9月 東京国立近代美術館開館20年記念『現代の眼―近代日本の美術から』展に「十和田湖」(1953)「ノートルダム」(1961)「少女」(1963)を出品。10月 第40回独立展に「少女白衣」「花」を出品。講談社より刊行予定の画集のため、初めて自画像を描く。 |
1973年 | 3月 日美の流れ展(東京セントラル美術館)に「多摩川上水」(1922)「緑衣の女」(1931)「バラ」(1973)を出品。10月 第41回独立展に「花(薔薇)」「花(向日葵)」を出品。講談社より「日本の名画48 林武」を出版。 |
1974年 | 3月、山種美術館特別展『舞妓の美―日本の抒情と造形―』に「立てる舞妓」(1962)を出品。 |
1975年 | 3月29日 慈恵会医科大学付属病院に入院。6月23日 肝臓癌のため78歳で逝去。病床で描いた「薔薇」が絶筆となった。贈従三位(没時叙位)。銀杯一組(没時受賜)。6月28日 青山葬儀所において野口弥太郎が葬儀委員長を務め葬儀が営まれた。10月 林武展委員会、毎日新聞社主催により日本橋高島屋において“この不屈の人 林武展”開催される。 |
おすすめ作品
- ジャン・ジャンセン「バレリーナ」水彩画 66.7×50.8cm
- 香月泰男「馬鈴薯」パステル・水彩画 1956年
- 室越健美「無題」ミクストメディア 52×44.6cm
- 因藤壽「作品」ガッシュ・クレヨン 1962年
- 今西中通「裸婦」水彩19.1×14.7cm
- 香月泰男「タヒチ風景」水彩44×29cm
- 難波田龍起「白日の夢」ガッシュ 1978年
- 須田剋太「男の肖像」紙にガッシュ・パステル 38.8×26.7cm
- 須田剋太「かぼちゃ」紙に水彩 3号色紙
- 須田剋太「桜並木」紙にガッシュ 1986年
- 柳原良平「神戸第四突堤」水彩画 1981年
- 高塚省吾「ジーンズ」パステル 55×37.5cm
- 坂本繁二郎「牛」色紙に水彩 27×24cm
- 岸田劉生「少女像」水彩 44.5×34cm
- 高塚省吾「微風」パステル 54×38cm
- 坂本善三「花」紙にガッシュ・ペン 17×38.5cm
- 新道繁「熱海風景」パステル 1968年
- 山田正亮「work E.p 518」水彩 1984年
- 山口長男「静物」水彩3号色紙
- 早川義孝「林の中で見つけた夜」水彩25×25cm
- 早川義孝「夢の船」ガッシュ48×41.5cm
- ポール・ギヤマン「森の中の馬」水彩53×39cm
- 小磯良平「外国婦人」パステル 1979年
- 三宅輝夫「雪の朝」水彩37.7×44.7cm
- 中川一政「金魚」水彩18.5×23cm
- 田村能里子「かたらい」水彩・コンテ30×23cm
- 宮本三郎「婦人像」水彩 3号色紙