真下慶治

真下慶治「雪の小外川」版画27.5×37.5cm

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真下慶治「雪の小外川」版画
作家名 真下慶治
MASSIMO Kenji
タイトル 雪の小外川
Kotogawa
技法 版画 リトグラフ
Lithograph
サイズ 27.5cm×37.5cm
体裁 額装
制作年
レゾネ
ED. 限定80部
サイン 鉛筆サイン有
鑑定証書
備考 「最上川シリーズ第一集」より
販売価格 売却済み
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    真下慶治 略歴詳細
    1914年 3月5日山形県最上郡戸沢村津谷に医師真下元雄、母キンの次男として生まれる。
    1916年 医師である父は、青森県目屋地域の診療所に勤務、家族と共に目屋に転居。
    1919年 目屋小学校に入学。
    1923年 弘前市和徳小学校に転校。
    1926年 弘前市和徳小学校を卒業。弘前中学校に入学。
    1927年 父 山形県戸沢村角川診療所に転診。戸沢村津谷の生家に転居し新荘中学校(現、県立新庄北高等学校)に転校。
    1931年 新荘中学校を卒業し東京の文化学院美術部に入学。石井柏亭、有島生馬、山下新太郎の指導を受ける。
    1932年 第28回太平洋画会展に「塀のある風景」が入選。
    1933年 中央美術展に「早春の最上川」が入選。
    1934年 文化学院卒業。第21回二科展に「憩ふ男」が入選。番衆技塾(二科美術研究所)に入り熊谷守一・木下義謙・野間仁根らの指導を受ける。
    1936年 東京を引きあげ郷里戸沢村津谷に帰る。
    1937年 第1回一水会展に「船川港」「港風物B」が入選。
    1940年 紀元二千六百年奉祝美術展に「雪の最上川」が入選、イタリア政府買上げとなる。第4回一水会展に「最上川風景」「下村の秋」が入選。
    1941年 第5回一水会展に「風景」「最上川浅春」が入選。
    1942年 第6回一水会展に「最上川暮雪」「雪景」が入選、一水会賞受賞。第5回文部省美術展に「雪の渡場」(最上川)が入選。
    1943年 図司文子と結婚。朝鮮、満州に旅行。第7回一水会展に「冬の最上川」晴・「冬の最上川」霙・「冬の最上川」雪が入選。第6回文展に「雪ふる山河」を無鑑査出品。
    1944年 文部省戦時特別美術展に「最上川浅春」を招待出品。
    1945年 1月長男慶昭誕生。
    1946年 第1回日展に「最上川冬景」が入選 特選、文部省買上げ(東京芸術大学所蔵)。第2回日展に「雪景」入選 特選。第8回一水会展に「冬の川」入選。一水会会員 となる。
    1947年 山形に疎開中の今泉篤男から指導を受ける 第9回一水会展に「冬」を出品。
    1948年 酒田市本間美術館で『真下慶治近作展』を開催。第10回一水会展に「晩夏」、第4回日展に「静物」を依嘱出品(以後依嘱出品)。
    1949年 最上川と鮭川村の合流点近い戸沢村岩花の河畔に仮画室を設ける。酒田の本間美術館で『真下慶治と近岡善次郎二人展』を開催。第11回一水会展に「最上川冬景」「水門のある風景」、第5回日展に「最上川」を出品。
    1950年 9月母キンが逝去(65歳)。10月長女元子誕生。第4回美術団体連合展に「松沢博士像」、第12回一水会展に「白樺林」2点、第6回日展に「雪景暮色」を出品。
    1951年 山形大学教育学部講師となる。第13回一水会に「最上川」「父の像」、第7回日展に「最上川雪」を出品。
    1952年 第14回一水会展に「冬の最上峡」「雪景」、第8回日展に「冬河」を出品。
    1953年 第2回日本国際美術展に「流氷の河」、第15回一水会展に自画像「画家の像」、妻をモデルにした「うたたね」、第9回日展に「最上川冬」を出品。
    1954年 第1回現代日本美術展に「冬河」、第16回一水会展に「最上川風雪」「雪流る」、第10回日展に「春の月山」を出品。
    1955年 丹頂会を結成(結城哀草果、結城健三、結城哲雄、高嶋祥光、小野田高節、荒井栖草、真下慶治)。第17回一水会展に「雪解最上川」「冬景」、第11回日展に「河畔浅春」を出品。
    1956年 山形市小白川町に新居とアトリエを建て転居。第2回現代日本美術展に「最上峡」、第18回一水会展に「冬景色」「夏景色」、第12回日展に 「或る科学者」を出品。
    1957年 第19回一水会展に「冬の最上峡」、第3回日本国際美術展に「雪の最上川」を出品。
    1958年 第4回斎藤茂吉文化賞受賞。第3回現代日本美術展に「最上川風雪」「雪ふる最上川」、第20回一水会、第1回新日展に「最上川」を出品。
    1959年 第4回日本国際美術展に「雪景」を出品。第21回一水会展で「凍河」が会員佳作賞受賞。第2回新日展に「八本の榛の木」を出品。
    1960年 第5回日本国際美術展に「雪景」を出品。第22回一水会展、第3回新日展。
    1961年 第23回一水会展に「雪を浮かぶる」「冬の梁」、第4回新日展に「雪の山河」を出品。
    1962年 ヨーロッパ諸国(パリには1ヶ月余り滞在)を4ヶ月間巡る。第1回一水会委員展に出品(以後93年まで毎年出品)。第24回一水会展に「雪の最上川」、第5回新日展に「最上川」を出品。
    1963年 第25回一水会展に「雪どけの川」、第6回新日展に「雪峡」を出品。
    1964年 山形大学助教授となる。東京銀座資生堂ギャラリーで個展開催。第26回一水会展に「雪峡」「陸羽山峡」、第7回新日展に「最上峡雪景」を出品。
    1965年 第27回一水会展に「冬山水」「最上川冬雨」、第8回新日展に「最上川冬景」を出品。
    1966年 第28回一水会展に「冬の最上川」[山白き”“山青き”]、第9回新日展に「雪国」を出品。
    1967年 山形県民会館で『真下慶治近作展』を開催。本間美術館で『真下慶治近作展』を開催。第29回一水会展に「凍る河」「冬景色」を出品。第10回新日展で「最上川霙」が菊華賞受賞。
    1968年 山形大学教授となる。9月 父元雄逝去(88歳)。10月 妻 文子逝去(46歳)。〔文子追悼朝露抄〕刊行。東京銀座日動画廊で個展開催。第30回一水会展に「残雪の峡」「雪の最上川」、第11回新日展に「冬最上川」を出品。
    1969年 「真下慶治画集」が同刊行会より発行。第31回一水会展に「雪の最上川」、第12回新日展。
    1970年 東京数奇屋橋日動サロンで個展開催。第32回一水会展に「冬の清川」最上川、第2回改組日展に「冬の早房」最上川を出品。
    1971年 日展審査委員会員となる。山形県村山市にアトリエを建てる。ヨーロッパ旅行。第33回一水会展に「河畔浅春」「川沿いの村」、第3回新日展。
    1972年 日展会員となる。山形大学教育学部美術科教授を退官。第34回一水会展に「大淀」最上川「早春」、第4回改組日展に「冬の山河」を出品。
    1973年 第35回一水会展に「大淀の最上川」、第5回改組日展に「大淀の眺め」を出品。
    1974年 東京セントラルサロンで個展開催。第36回一水会展に「雪解最上川」、第6回改組日展に「最上川暮雪」を出品。
    1975年 ヨーロッパ旅行。第37回一水会展に「冬の最上峡」「雪国春近し」、第7回改組日展に「雪ふる最上川」を出品。
    1976年 東京銀座資生堂ギャラリーで個展開催。第38回一水会展に「雪の最上川」(大淀)、第8回改組日展に「冬の下河原」(最上川)を出品。
    1977年 一水会常任委員となる。第39回一水会展に「雪の早房」(最上川)、第9回改組日展に「雪峡」を出品。
    1978年 庄司清美と結婚。村山市大淀のアトリエを増築。酒田大火災後、清水屋の新装開店記念として『真下慶治油絵展』を開催。第40回一水会展に「冬の河畔」、第10回改組日展に「冬景色」を出品。
    1979年 阿武隈川、伊豆、信濃川などを写生旅行。第41回一水会展に「雪の早房辺り」、第11回改組日展に「河畔雪景」を出品。
    1980年 日展の審査員となる。東京銀座資生堂ギャラリーで 個展開催。第42回一水会展に「大淀の最上川」、第12回改組日展に「三月の最上川」(大浦)を出品。
    1981年 酒田市本間美術館で『自選展』を開催。東北各地を写生旅行。大石田町立歴史民族資料館で『大石田の最上川展』を開催。第43回一水会展に「雪の大淀」、第13回改組日展に「雪の河畔」を出品。
    1982年 村山市民会館で『碁点・隼展』開催。東北・北海道を写生旅行。ヨーロッパ旅行。第44回一水会展に「大淀の春」、第14回改組日展に「冬の眺め」を出品。
    1983年 山形・十字屋で『一水会委員展』を開催。東北及び長野方面に写生旅行。奥田郁太郎氏と白馬、信州三湖を写生。第45回一水会展に「冬の河口附近」、第15回改組日展に「雪の最上峡」を出品。
    1984年 1月 足摺岬、小豆島、奈良を旅行。2月 房州を写生旅行。東京銀座資生堂ギャラリーで個展開催。第46回一水会展に「最上川雪霽」、第16回改組日展に「雪の江村」を出品。
    1985年 日展の審査員となる。青森県に写生旅行。松山資料館で『松山の最上川を主とした真下慶治油絵展』を開催。第47回一水会展に「雪峡」、第17回改組日展に「左沢の最上川」を出品。
    1986年 日展評議員となる。山形美術館で『一水会山形展』が開催。九州を写生旅行。第48回一水会展に「冬・河口あたり」、第18回改組日展に「大石田の最上川」を出品。
    1987年 第49回一水会展に「雪の最上峡」、第19回改組日展に「雪峡」を出品。
    1988年 山形県松山町にアトリエを建てる。イタリア旅行。第50回一水会展に「雪の早房の瀬」、第20回改組日展に「冬の瀧」を出品。
    1989年 第51回一水会展に「雪どけの川」、第21回改組日展に「最上川雪景」を出品。
    1990年 日展の審査員となる。第52回一水会展に「雪の左沢」、第22回改組日展に「浅春最上川」を出品。
    1991年 第53回一水会展に「春の眺め」、第23回改組日展に「冬の最上川」を出品。
    1992年 第7回小山敬三美術賞受賞。7月 日本橋高島屋で『小山敬三術賞受賞記念 真下慶治展』開催。11月 銀座資生堂ギャラリーで個展開催。第54回一水会展に「酒田の最上川」、24回 改組日展に「冬の最上峡」を出品。
    1993年 4月に山形大学医学部付属病院に入院。7月 酒田市清水屋で『真下慶治油絵展』開催。8月初旬より病室にて一水会展出品作を描き始め9月1日に作品搬出。9月8日白血病のため逝去(79歳)。第55回一水会展に絶筆となった「冬の河畔」が展示。第25回改組日展、第10回日展菊華賞「最上川霙」を遺作として出品。
    備考 1996年 NHK開局60周年記念「母なる最上川展」。1998年 山形県飽海郡松山町の町立松山町資料館に「真下慶治記念室」新設。現在は酒田市松山文化伝承館に名称を変更。2003年 山形県村山市立 「真下慶治記念美術館」新設。

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