鈴木信太郎

鈴木信太郎「熱海風景」油彩6号

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る
鈴木信太郎「熱海風景」油彩
作家名 鈴木信太郎
SUZUKI Shintaro
タイトル 熱海風景
Atami
技法 キャンバスに油彩
Oil on canvas
サイズ F6号(32cm×40.6cm)
体裁 額装
制作年
レゾネ
ED.
サイン サイン有
鑑定証書 東京美術倶楽部鑑定委員会
備考 キャンバス裏に裏書有
販売価格 売却済み
⇒ この作品へのお問い合わせ

鈴木信太郎「熱海風景」油彩作品の買取価格査定

鈴木信太郎「熱海風景」油彩作品を高価買取り致します。

査定は無料でオークション落札価格等の市場相場に基づき適正な買い取り金額をご提示します。
鈴木信太郎「熱海風景」油彩作品の売却をお考えの方はお電話(03-6421-8750)または、買取価格査定フォームよりお気軽にご依頼ください。
鈴木信太郎の油絵作品等の高額査定には自信があります。

買取価格査定フォームを開く


    買取価格査定は 無料 です。 作品の情報をわかる範囲でご入力ください。
    ※不明な項目は空欄で結構です。

    作品の技法 【任意】

    体裁 【任意】

    サイン等の有無 【任意】

    売却希望時期 【任意】



    ※他社様からご提示された査定額がございましたらお知らせください。その価格が適切かお返事申し上げます。




    ※添付画像は5MBまでのjpg、gif、pig、pdf形式にてお送りください。
    ※追加や複数点ある場合はフォーム送信後に送られてくる送信確認メール記載のアドレスからもお送り頂けます。

    お客様情報をご入力ください。


    ※送信完了後こちらのメールアドレス宛に自動で送信確認メールをお送りします。もし送信確認メールが受信されない場合は、送信が完了していないか、アドレス間違え、迷惑メールフィルター等により弊社からのお返事も受信できない場合がございますので、お電話(03-6421-8750)までお問い合わせください。


    ※携帯電話などご連絡が取りやすいお電話番号をお願い致します。

     ↓郵便番号を入力すると住所の最初が自動入力されます。番地以下は任意でも結構です。

     同意する 【必須】
     ↑ 同意頂けましたらチェックを入れてください。

    ※データはSSL(Secure Sockets Layer)通信により暗号化して送信されます。

    鈴木信太郎 略歴詳細
    1895年 8月16日東京都八王子に生まれる。
    1906年 白馬会洋画研究所に入り黒田清輝に師事。
    1910年 赤坂溜池の白馬会洋画研究所に入所。同研究所で鈴木金平(当時14歳)と親交を結ぶ。鈴木金平を通じ岸田劉生を知る。
    1911年 銀座三原橋近くに下宿する。鈴木金平の紹介で回覧雑誌「紫紅」に入る。
    1913年 東京府立織染学校(現:東京都立八王子工業高等学校)に入学。後再び上京し、染織図案家滝沢邦行のもとで図案を学ぶ。
    1916年 第10回文展に「静物」が初入選する。
    1919年 俳人荻原井泉水の主宰する絵の合評会「砂文字会」に参加。そこで浜田庄司を知る。井泉水の俳人同人誌「層雲」の表紙・挿絵・カット等を描く。浜田庄司の招きで京都を訪ねる。
    1921年 八王子に帰郷。図案の仕事を断念し、日野の多摩川河畔の善生寺に寄寓、油絵の制作に専念する。
    1922年 第9回二科展に「桃と紫陽花」が初入選する。以後、石井柏亭に師事する。「1920年社」に参加する。奈良に写生旅行をする。以後しばしば奈良旅行を行うようになる。鍋井克之の知遇を得る。
    1923年 志賀周と結婚。
    1924年 第11回二科展に入選。
    1925年 鈴木金平の紹介で「中村彝画室倶楽部」に入会する。京都に津田青楓を訪ねる。第12回二科展に「人形のある静物」他を出品。以後退会まで毎年出品する。
    1926年 第13回二科展に「静物」「窓辺静物」「花」他を出品。樗牛賞を受賞する。曽宮一念の知遇を得る。「柘榴社」同人となる。
    1930年 八王子より荻窪に転居する。
    1934年 3月、長女もゝ代誕生。
    1944年 戦争が激しくなり、西多摩、五日市に疎開。疎開先で林武と知り合う。
    1946年 4月、疎開先五日市より荻窪に戻る二科再興に加わる。
    1949年 長崎に、被爆し病床にあった永井博士を訪ねる。同氏の新聞連載の随筆「長崎の花」の挿絵を描く。
    1950年 4月、武蔵野美術大学教授就任(1965年3月まで)。
    1951年 荻窪より久我山に転居。
    1953年 3月多摩美術大学教授就任(1966年3月まで)。
    1955年 二科展を退会し、一陽会を野間仁根、高岡徳太郎等と結成する。
    1960年 日本芸術院賞受賞。
    1969年 日本芸術院会員。勲三等瑞宝章受章。
    1987年 11月、文化功労者として顕彰される。
    1989年 5月13日逝去。享年93歳。
    備考
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
    • Pocket
    • LINEで送る

    最高水準での美術品買取価格査定

    ◎ お持ちの作品価値を高く評価し最高額査定には自信があります。

    ◎ 絵画・美術品に専門特化した深い知識と経験でお答え致します。

    ◎ 広告費・店舗維持費等のコストを抑えお客様の買取金額に還元します。

    ◎ もし買取値段にご満足いただけない場合はご遠慮なくお断りください。

    ◎ 法人、士業、リサイクル業者様からのお問合せもお待ちしております。

    買取価格査定フォーム