鈴木信太郎

鈴木信太郎「熱海風景」油彩6号

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鈴木信太郎「熱海風景」油彩
作家名 鈴木信太郎
SUZUKI Shintaro
タイトル 熱海風景
Atami
技法 キャンバスに油彩
Oil on canvas
サイズ F6号(32cm×40.6cm)
体裁 額装
制作年
レゾネ
ED.
サイン サイン有
鑑定証書 東京美術倶楽部鑑定委員会
備考 キャンバス裏に裏書有
販売価格 売却済み
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    鈴木信太郎 略歴詳細
    1895年 8月16日東京都八王子に生まれる。
    1906年 白馬会洋画研究所に入り黒田清輝に師事。
    1910年 赤坂溜池の白馬会洋画研究所に入所。同研究所で鈴木金平(当時14歳)と親交を結ぶ。鈴木金平を通じ岸田劉生を知る。
    1911年 銀座三原橋近くに下宿する。鈴木金平の紹介で回覧雑誌「紫紅」に入る。
    1913年 東京府立織染学校(現:東京都立八王子工業高等学校)に入学。後再び上京し、染織図案家滝沢邦行のもとで図案を学ぶ。
    1916年 第10回文展に「静物」が初入選する。
    1919年 俳人荻原井泉水の主宰する絵の合評会「砂文字会」に参加。そこで浜田庄司を知る。井泉水の俳人同人誌「層雲」の表紙・挿絵・カット等を描く。浜田庄司の招きで京都を訪ねる。
    1921年 八王子に帰郷。図案の仕事を断念し、日野の多摩川河畔の善生寺に寄寓、油絵の制作に専念する。
    1922年 第9回二科展に「桃と紫陽花」が初入選する。以後、石井柏亭に師事する。「1920年社」に参加する。奈良に写生旅行をする。以後しばしば奈良旅行を行うようになる。鍋井克之の知遇を得る。
    1923年 志賀周と結婚。
    1924年 第11回二科展に入選。
    1925年 鈴木金平の紹介で「中村彝画室倶楽部」に入会する。京都に津田青楓を訪ねる。第12回二科展に「人形のある静物」他を出品。以後退会まで毎年出品する。
    1926年 第13回二科展に「静物」「窓辺静物」「花」他を出品。樗牛賞を受賞する。曽宮一念の知遇を得る。「柘榴社」同人となる。
    1930年 八王子より荻窪に転居する。
    1934年 3月、長女もゝ代誕生。
    1944年 戦争が激しくなり、西多摩、五日市に疎開。疎開先で林武と知り合う。
    1946年 4月、疎開先五日市より荻窪に戻る二科再興に加わる。
    1949年 長崎に、被爆し病床にあった永井博士を訪ねる。同氏の新聞連載の随筆「長崎の花」の挿絵を描く。
    1950年 4月、武蔵野美術大学教授就任(1965年3月まで)。
    1951年 荻窪より久我山に転居。
    1953年 3月多摩美術大学教授就任(1966年3月まで)。
    1955年 二科展を退会し、一陽会を野間仁根、高岡徳太郎等と結成する。
    1960年 日本芸術院賞受賞。
    1969年 日本芸術院会員。勲三等瑞宝章受章。
    1987年 11月、文化功労者として顕彰される。
    1989年 5月13日逝去。享年93歳。
    備考
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