小野竹喬

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小野竹喬(ONO Chikkyo)作品一覧
岡山県出身:1889-1979

小野竹喬 略歴詳細
1889年 11月20日岡山県笠岡市西本町に四男として生まれる。本名は小野英吉。祖父と長兄は画家であった。
1903年 長兄の勧めで京都に上り、竹内栖鳳に師事。「竹橋」の号を授かる。
1909年 竹内栖鳳の勧めで同画塾の土田麦僊とともに、京都市立絵画専門学校(絵専、現:京都市立芸術大学)の第一期生として入学。(1911年卒業)
1916年 洋画的手法を果敢に取り入れた《島二作》が第10回文展で特選という高評価を得るも、翌年は同展に落選し、同展の審査に対して疑問を持つようになる。
1918年 絵専卒業生である小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、榊原紫峰、野長瀬晩花で国画創作協会を結成。
1921年 土田麦僊、野長瀬晩花とともに、渡欧経験のある洋画家・黒田重太郎の案内で渡欧。帰国後は東洋画における線の表現について再認識することとなり、江戸時代の南画を改めて学ぶ。
1928年 第7回国展出品作の《冬日帖》によって、西洋というフィルターを通した線描と淡彩による南画風の表現に到達した。同年、国画創作協会は解散し、その後は官展に復帰する。
1941年 太平洋戦争が始まり、多くの日本画家たちと同様、竹喬も富士山や旭日など日本を賛美する画題を描いた。
1947年 京都市美術専門学校教授に就任し、京都市立芸術大学と改組した後も教鞭を執った。同年、帝国芸術院(現・日本芸術院)会員となる。
1950年 京都市美術専門学校が新制大学の京都市立美術大学として新発足し、その教授となる。
1958年 社団法人日展の発足にあたりその常務理事となる。
1960年 東京・日本橋三越にて「小野竹喬日本画展」を開催。
1966年 三彩社より『小野竹喬作品集』が刊行される。岡山県笠岡市の名誉市民章を受ける。
1968年 文化功労者の表彰を受ける。
1969年 勲二等に叙せられる。
1973年 京都市名誉市民の称号を受ける。岡山・高島屋で「小野竹喬展」(山陽新聞社主催)が開催される。
1976年 文化勲章を受章する。
1979年 5月10日京都市内の病院で逝去。享年89歳。
小野竹喬

小野竹喬「富士」日本画 3号色紙

小野竹喬「富士」日本画

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小野竹喬

小野竹喬「川の辺り」木版画 限定300部

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