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牛島憲之(USHIJIMA Noriyuki)作品一覧
熊本県出身:1900-1997
牛島憲之 略歴詳細
1900年 |
8月29日熊本県熊本市二本木町に地主牛島米太郎の4男として生まれる。 |
1913年 |
古町小学校を卒業して熊本県立熊本中学校に入学。 |
1919年 |
旧制熊本中学校卒業後上京し、東京美術学校を受験するが失敗、白馬会葵橋研究所に入る。この頃から歌舞伎に興味をもち、片端から観てまわる。 |
1922年 |
東京美術学校西洋画科に入学し、岡田三郎助教室に在籍する。同級に荻須高徳、小磯良平、猪熊弦一郎、山口長男、岡田謙三らのいる優秀なクラスであった。 |
1927年 |
東京美術学校西洋画科卒業。卒業制作は「自画像」「猿芝居」。岡田三郎助に師事。同年の帝展入選。以後、秀作美術展を中心に出品を重ねる。また、東京美術学校西洋画科の同級生全員で親睦・研究団体「上杜会」を結成し、その第1回展から晩年まで同会への出品を続ける。 |
1928年 |
第9回帝展に「あるサーカス」で初入選。 |
1929年 |
第10回帝展に「春爛漫」を出品。 |
1930年 |
第2回聖徳太子奉賛美術展に「二人像」を出品するが、1932年まで帝展には落選を続ける。デッサン力の不足を感じ小林萬吾の主宰する同舟舎洋画研究所に通う。 |
1933年 |
東光会が結成されるとその第1回展から出品。また、第14回帝展に明るい色彩を点描風に用いた「貝焼場の風景」が入選する。 |
1935年 |
第4回東光会展に「貝焼場」「午後(貝焼場)」を出品してK氏奨励賞を受賞。 |
1936年 |
東光会を退会した高間惣七、橋本八百二らと主線美術協会を結成し同会会員となる。 |
1939年 |
主線美術協会絵画部が解散。 |
1941年 |
創元会が結成されると第1回展に「元朝」「昼」を出品して受賞し、以後同展に出品を続ける。 |
1946年 |
「炎昼」(京都国立近代美術館蔵)が第2回日展で特選となる。 |
1949年 |
同志7名(牛島憲之・飯島一次・大貫松三・榎戸庄衛・円城寺昇・須田寿・山下大五郎)にて創元会を脱会、同時に今後日展(官展)に出品せず、公募展に対する批判をもってグループ形式の会「立軌会」を創立。第1回展に「家」「風景」「道」を出品し、以後、没するまで同会を活動の主要な場とした。 |
1952年 |
第1回日本国際美術展に「水辺(水門)」「早春」「午後(タンク)」を出品。以後第9回展まで同展に出品を続ける。 |
1953年 |
第2回サンパウロ・ビエンナーレに「早春」「午後」「麦を刈る」を出品。 |
1954年 |
第1回現代日本美術展に「樽のある街」「橋の風景」を出品し、以後同展に出品を続ける。東京芸術大学の講師となる。 |
1957年 |
「まるいタンク」(熊本県立美術館蔵)を制作。 |
1959年 |
東京芸術大学教授の助教授となる。 |
1965年 |
東京芸術大学の教授となる。 |
1968年 |
東京芸術大学教授を定年退官し、同校名誉教授となる。 |
1969年 |
芸術選奨文部大臣賞を受賞。 |
1971年 |
熊本県近代文化功労者。 |
1978年 |
京都国立近代美術館・日本経済新聞社主催で開催された「牛島憲之の芸術-五十年の歩み」展(神奈川県立近代美術館、群馬県立近代美術館に巡回)は、初期からの代表作108点および素描・版画が出品される大規模な回顧展となった。 |
1980年 |
東京銀座松屋で「牛島憲之展-現代洋画家デッサン・シリーズ」(朝日新聞社主催)を開催。 |
1981年 |
日本芸術院会員。 |
1982年 |
文化功労者となる。 |
1983年 |
文化勲章受章。 |
1997年 |
9月16日都内の病院にて逝去。(享年97歳) |
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